◆1990年
港北区障害者青年学級「街へ出よう」がスタート。当時、そのスタッフで、歌好きの3人が「街へ出ようバンド」結成。
◆1991年
オリジナル曲作って歌い始める。70年代フォークの響きを追求。メンバーは新たにピアニカ渡辺を加えて4人。場所を選ばず、スキさえあればどこでも歌っていて、深夜駅頭でやっていてパトカーが来たことも。
◆1993年
地元港北ではジワジワとファンを増やし、300円のオリジナルテープが10本は売れる。が、しかし、ギターのカブとボーカルのキーボー
が突然結婚、しばらく活動休止。その後、哀愁のマンドリン奏者のリーダーはデイサービスセンターで懐メロを中心に活躍。おかげで唱歌懐メロでできない曲はないと豪語するほどに。
◆1998年
「街へ出よう」の熱海温泉宴会コンサートで華麗なる復活!?数年ぶりのオリジナル曲「春の匂い」が、リーダーと放浪の吟遊詩人シゲとの合作で完成。シゲライブ友情出演。本牧ポレポレ祭りなど出演。
◆2000年
新メンバー(ボーカルともべ)が加わったこともあり、バンド名を「スーパーカブ」と変え(シゲが命名)、新生「スーパーカブ」で初の全曲オリジナルCD「Easy
to
Ride」を発売。じわじわとセールスを続け、89枚を完売御礼。5月渋谷の喫茶店「時間割」ライブ、12月本牧の喫茶店「ぶれーめん」などでライブ。
◆2001年
2枚めCDのレコーディングを開始するものの、練習がつい飲み会に変わってしまうため、なかなか完成にいたらず、時間が過ぎていく。合宿だけで、ライブもしてないし、どっかから声がかからないかなあとお誘いを待ちつづける秋の夜長である。
◆2002年
暮れにライブということで真剣にレコーディングをスタート。レコーディング中に通い慣れた台湾料理屋「塩酢蝦(いえんすーしゃ)」をアルバムタイトルして発売シゲも正式メンバーとして編曲に力をいれかなり高度な完成ぶり。11月23日横浜にぎわい座小ホールでライブ50人くらい入ってくれてなかなかの自己満足。
◆2003年
スタジオも台湾料理屋、合宿も釣りに流れてしまう。唯一12月20日に障害者団体の企画で5曲程度の小ライブ。
◆2004年
3月21日に職場の打ち上げ時に、小ライブ。シゲも相模湖藤野に引っ越し、リーダーも職を変えそれぞれの人生が波に乗るまで音楽活動は少しお休みかな。
〜誕生から現在まで〜
★スーパーカブ紹介★